Twitterは農耕文化に学べ

5月の連休も終わり、もう1ヶ月もするとまたあのうっとうしい梅雨に入る。
梅雨の時期になると、我が家の近くでは田植えが盛んになる。田んぼに水が入り田植えが始まるとなんかほっとした気になる。
日本の農業も最近は世界的な食料不足の観点から見直されているが、田んぼに稲の苗がずらっと並び、その苗が毎日毎日細かな手入れを受けながら 大きくなっていずれわれわれの主食になるのだと思うと、農家の方々の並々ならぬ努力に頭が下がる思いである。

ところでこの「農業」という言葉は英語でagricultureと書くが、語源はagriが「土、畑(field)」でcultureが「耕す」で、畑を耕すから農業と言われる。でもこの語の中にあるcultureカルチャーは今は普通「文化、教養」と訳されている。

えー、文化は耕すの? と考えてしまう。

これは「土地を耕す」から「人の心を耕す」となりこれが教養と考えられ教養を育成して文化が生まれると解されてきたらしい。なるほどと思ってしまう。

昔の話を持ち出して恐縮ではあるが、私は高校生のとき、英語の単語を覚えるのにいきなり覚えるのではなく、出来るだけ語源をもとに覚えるようにしていた。
例えば、エアポートairportは「air空のport港」だから空港で、ゆえにimportはimがin「中に」で港の中にで「輸入」、imの反対語がexで exportは港の外にで「輸出」、映画館でよく見るEXITとは「ex外にit行く(go)」で「出口」というようにである。もう数十年も前のことなので、あまり書くとボロがでるのでやめておこう。

最近私はブログというものを始め、さらにツイッターなるものも始めた。ここではいろんな人々がたくさんの情報を寄せ合って、またそれを見たり読んだりお互いコメントし合ってまた新しい情報が生まれてくる。
ツイッターの世界ではひとりひとりのつぶやきが、ある時は悲しんでいる人を勇気づけ、またある時は不安を持っている人の頼もしい話し相手になったり、また商売等のちょっとしたヒントを貰ったりと様々な効果を生んでいるようだ。
ツイッターのこのような広がりも一つの文化なのであろう。

最近社会のなかで人と人とのつながりの問題がよく言われるが、会社で同僚や上司と上手くいかなくなったり、あるいは今まで仲のよかった友達同士がいつの間にか疎遠になってしまうという事も、お互いの心の耕し方が不足したのが原因なのかもしれない。

英語でヒューマンhumanは「人間の、人間らしい」と訳されるが、否定を意味するinが頭についたinhumanは「思いやりのない」と訳される。
人に対して思いやりのないことをすることは、人間的でないという事だ。

人も文化もツイッターも、それを維持しかつ進化発展させるためには、我々人間の心を耕す努力が必要ということだと思う。